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イスパニョーラ島の秘密

こんなに悲しい歴史があったなんて知りませんでした。

イスパニョーラ島(Hispaniola, La Española)とは、カリブ海にある大アンティル諸島に属する島であり、西側3分の1をハイチ共和国、東側3分の2をドミニカ共和国が統治している。東はモナ海峡、西はウィンドワード海峡およびジャマイカ海峡となっている。

島の面積は76,480km?と、世界の島の中で23番目の大きさである。カリブ海の中ではキューバ島に次いで2番目に大きい。イスパニョーラ島はウィンドワード海峡を挟みキューバの80km南東に位置し、ジャマイカ海峡をはさんでジャマイカ島の北東に位置する。プエルトリコからはモナ海峡を挟んだ西にあり、バハマ諸島の南に当たる。

キューバ・イスパニョーラ・ジャマイカ・プエルトリコは大アンティル諸島を形成する。大アンティル諸島は、小アンティル諸島の火山島やサンゴ礁とは異なり、大陸性の陸塊である。

かつては西側のハイチ共和国のほうが人口も国力も東側の現ドミニカ共和国側を上回っており、東側は何度もハイチ共和国により侵攻・占領されていた。現在は比較的安定したドミニカ共和国側に比べ、ハイチ共和国側は政情が不安定で世界の最貧国の一つであり、農業の規模も小さく、国土も森林がほとんど失われ荒廃している
クリストファー・コロンブスはこの島に1492年12月5日に到達し、1493年の2回目の航海では南東部のオサマ川河口に新世界最初のスペイン植民地を建設した。この植民地は1496年には新世界最初の西洋人による町・ヌエバ・イサベラとなったが、まもなくハリケーンで破壊されたため川の対岸にサントドミンゴの町を築いた。

アラワク系の先住民タイノ人はこの島をキスケヤ(Quisqueya、または Kiskeya、「すべての大地の母」の意味と推定されている)と呼んでいた。この名前はハイチ共和国とドミニカ共和国両方の地名に残っており、またドミニカ共和国の国歌は『キスケヤの勇敢な息子たち』(Quisqueyanos valientes)と呼ばれている。その他の先住民による島の呼び名にはアイティ(Ayiti、「高い山の土地」)やボヒオ(Bohio)などがあったが、アイティは、1804年のハイチ共和国独立の際に国名として利用された。ハイチは島中央の山脈の姿に由来し、もともと島全体の呼び名で西側のハイチ共和国側に限定されたものではなく、ドミニカ共和国のある東側もかつてはスペイン領ハイチと呼ばれていた。スペイン人はこの島を聖ドミニコにちなみサント・ドミンゴ島(Santo Domingo)と名づけた。ドミニカ共和国の名や島の西側に存在したフランス植民地(現在のハイチ共和国)サン=ドマング(Saint-Domingue)の由来はこれである。


引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2008年01月16日 23:00に投稿されたエントリーのページです。

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